白井亨さんのこと―― 2年半の市議時代と、これから

2006年に小金井市に引っ越してきた。
その秋、「ごみ非常事態宣言」が出され、市役所の柵に黄色い横断幕が掲げられた。

野川沿いの雰囲気が気に入って小金井(の坂下)を選んだけど、なんだかとんでもないところに引っ越してきてしまったのかもしれないと不安になった。
それから市内で起こっていることを気にするようになり、何年かのうちに、このブログをやったり、twitterをやったりして、少しずつ知り合いが増えた。
そうやって知り合った友人の一人が、白井亨さんだ。


2013年春に白井さんは、会社員を辞めて市議会議員の選挙に立候補した。
友人として応援していて、正直もっと楽に当選できると思っていたけれど、けっこうギリギリだった。たぶん本人も楽観視していたので、選挙の現実の厳しさを突きつけられたと思う。「この人、これから大丈夫かな」と不安にもなった。
でも、議員になった白井さんは、「人が10年でやることを3年でやる」と言い切った。「聞こえのいいことを…」と感じなくもなかったが、彼はほんとうに私利私欲を捨ててやった。
「議員の身分」が目的ではなく、「自分の住む町をよくすること」が目的だということが彼のなかでははっきりしていたから、そのために、いろいろな講座やワークショップに足を運んで、休みなく勉強し、市政にフィードバックしようとしていた。

その白井さんが、10月30日で市議を辞職した。12月13日の市長選に向けた新たな挑戦である(公式サイト)。展開早っ。

そのことを聞いて、あらためて白井さんの2年半の市議時代を振り返ってみた。一番感心したのは、その情報発信力、そして、それと両輪をなす行動力だ。
というか、「感心した」なんて“上から”な言い方ではなくて、純粋に「ここまでやってたのか。すげーな」という気持ちです。ほんとに。


378回
これが2年半の市議時代のブログ更新回数だ。彼以外にこれだけの発信をした市議がいるか。一人もいない。
今回の市長選の立候補予定者でいえば、五十嵐氏のブログ更新が月に2〜3回程度。
都議時代の西岡氏は、「ブログ毎日更新!」を謳っていただけに更新数は多いが、民主党会派としての単なる報告や菅直人氏の活動の紹介も多く、個人の活動としては、「こんな行事に参加しました」という日記的なものが目立つ。
岩渕氏は色んなところで立候補しては落選している人なので、そもそもよくわかりません。
もちろんブログだけじゃなくて、白井さんはfacebooktwitterも頻繁に更新している。
「それって、単にネットに垂れ流してるだけでしょ?」
全然違う。いや、ネットに垂れ流しつづけるだけだってどんだけ大変なことかと思うが、彼は、『噂のこがおもマガジン』という市議会レポートもほぼ隔週(途中からほぼ月刊)で33号も発行、それに加えて4ページカラー印刷の拡充版を通算10号出している。どちらも文字が詰まりすぎるくらい詰まった情報量の多いものだ。
さらに、「議会カフェ」と銘打って、支持者向けではなくて誰でも――ほんとうに誰でも――「市議会で何が起こっているのか」を知ることができる集まりを、延べ30回近く行なった。最初は週末中心だったけど、平日の昼間に、あるいは平日の夜に、という声があれば、それもやった。個別に希望があれば、個人向けにもやった。
たとえば、この「議会ナイト」のスライドを見て欲しい。自分の主張を訴えるためだけではなく、市議会で何が起っているのかをわかりやすく説明するために、1回の「ナイト」のために103枚ものパワポを準備している。
これだけのことのうち、どれ一つとっても、「やり続けること」は実にたいへんだったと思うけど、彼はそれを全て「やる」と宣言し、実際にやり続けた。駅頭にも立ったけど、「駅頭でマイクを握るだけで伝わるのか」ということを考えて、いろいろな情報伝達手段を模索した。
そして大事なことだけど、彼はそれを、政党などの組織に属してやったのではなく、どこにも属さない個人として実行し続けたのだ。個人としての彼に力を貸そうという、ごく普通の市民たちとともに。


いま思い返してみると、わたしが小金井に住み始めてから、「ごみ非常事態宣言」だけでなく、「市庁舎問題」「交流センター問題」と、いつも何かしら“争点”とされる「問題」が取り沙汰されてきた。
それら一つ一つについて、稲葉市政に何らかの問題があったのだとは思うが、公平に見て、そのときに「反稲葉」の立場からの政策が全面的に正しかったかはわからない。なぜなら、それは実現しなかった歴史だから。
ただ、市民の一人として何よりもフラストレーションを感じさせられたのは、行政側の「応答能力の無さ」だった。
「応答能力の無さ」というのは、市民に対する説明能力というレベルでもあり、また問題への実際の対処能力というレベルでもあるけれど、とにかく「稲葉市政は、いったい何を考えているの? どうするつもりなの?」と感じさせられることが多かった。
それらの問題のなかには、ごみ処理のように、小金井市の中だけでは解決できない問題があり、それを何でもかんでも「情報公開」することはできないという事情もあったかもしれない。でも、それ以外のことについては、もやもや感が残ることが多かったのは間違いない。


幸い、ごみ処理施設については、日野市・国分寺市との共同処理が進展しつつある。それが「稲葉さんの功績」かというと、そもそも問題をこじらせたのが稲葉市政だったとしたら、多分にマッチポンプの側面があると思うが、ともあれ、今は巨大な“外交問題”が一段落しているのは事実である。
そんな今は、地味だけど絶対に避けて通ることができない、そしてどんな施策を行うにあたっても根本にある、「財政問題」に正面からしっかりと取り組むチャンスだと思う。しかしそのためには、「ここの予算を減らす」「この施設を縮小する」という、必ず反対者が出てくる施策も進めなければならないだろう。
だからこそ、次に市長になる人は、議会で突っ込まれて、あるいは市民に迫られて、口ごもってしまうのではなく、どういう小金井市にするのか、そのために何が必要なのかを誠実に自分のことばで語り、市民の問いかけに自分のことばで答えられる人であってほしい。
もちろんどんな候補者だって、市長選が近づけば街頭演説に立ち、ウェブサイトも作る。Facebookもやって情報発信をする。「いいね!」の数だけ見れば、そんなに違わないように見えるかもしれない。それぞれ「支持母体」があるのだから。
でも、選挙のときだけ大騒ぎする人のウェブサイトが、選挙のあとにどんな廃墟になるのか、ちょっと調べればすぐにわかる。今の市議たちのサイトだって、市議選以降ほとんどメンテナンスされてないものが多々ある。
白井さんは、決してそんなことはないということを、2年半の市議時代に、身をもって証明してきた。


11月に入って、小金井 宮地楽器ホールの「スペースN」で、「白井deナイト」と銘打った集まりが何回か行われている。
「白井ってどんな人?」「どんなことを言うの?」という興味をもった人が、ふらりと入って、話を聞き、質問をし、答えを得ることができる。
ロータリーに面したガラス張りの場所で実現している、この風通しのよい空間が、小金井市政の未来像であることを心から願っています。

小金井 坂下・坂上探検隊presents、公開イベント「坂翁に訊け!」開催(10/13)


「こがねいコンパス」の好評(?)連載「坂の途中で会いましょう」の連載開始1周年を記念して、ひっそりと公開イベントをやることになりました。
連載では使えなかった写真もたくさんお蔵出しして、小金井のあんな坂、こんな坂をゆる〜く巡ります。
終了後、お天気がよければ、とっておきの坂を参加者の皆さんと探訪する企画も計画中。
ご参加お待ちしてます!

〈坂の途中で会いましょう〉 presents
坂翁に訊け!〜坂を巡ると見えてくる! 秘話満載の地元再発見ストーリー〜

●ゲスト “坂翁”中川湊 氏(坂愛好家/小金井在住)
●司会進行 小金井 坂下・坂上探検隊([twitter:@folkway],[twitter:@koganeist])
〈日時〉2013年10月13日(日)13:30〜15:30pm
〈会場〉三楽集会所貫井南町3-6-18)
◎入場無料/申込不要
●お問い合わせ koganeistまでメールでどうぞ

(三楽集会所はこちら)

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「どんぐりと民主主義 PART4 地方分権と民主主義」

おとなり、小平市で行われたシンポジウム「どんぐりと民主主義 PART4 地方分権と民主主義」を聞いてきた。
http://jumintohyo.wordpress.com/2013/06/19/1-27/
自分は小平市民ではないが、住民投票を民主主義の問題と位置づけたのが面白いと思ったのと、開発と自然環境とのトレードオフという構図は、公園やハケが魅力である小金井でも起こりうる問題であること、あと、府中街道を時々は使うユーザーであると同時に玉川上水周辺の魅力には親しみを持っている、広い意味での地元民なので。

パネリストは、宮台真司いとうせいこう中沢新一國分功一郎の各氏。
以下、簡単に備忘録をつくるが、自分の理解に基づくメモを元にしているので、細部は正確ではない。あと、エピソード的に面白い部分はかなり略した。原文というか、動画はUSTの録画があります。
http://t.co/ecwfwRDEP9

少し遅刻したので、プログラム最初の「小平市での住民投票とその後(水口和恵)」は、ほとんど聞くことができなかった。遅刻して入場したときには、道路予定地となっている雑木林の貴重な動植物が画像とともに順次紹介されていた。

つづけて4人のパネリストが登壇。いとうさんのコーディネートで、話が始まる。
まずは、この動きの現状(住民投票が成立せず、開票もされずに済まされそうな状況)をどう考えるか。
●中沢氏「住民投票は手段であり、目的ではない。50%という成立要件を設けたのは、小平市政の失敗ではないか。運動としては、これからどういう球を投げていくかというところ」
●國分氏「35%強という投票率の数字をどう捉えるかは自分にとっても難しいところだった。吉野川河口堰反対運動の中心となった村上さんに、ちょうど話を聞いたところだが、吉野川との違いは、徳島市民にとって吉野川が水源であり、全市的問題であったことと、小平のような都市化した近郊との違いがあるということ。なお、50%という成立要件は、吉野川河口堰の問題で最初に出てきたもの。村上さんらが住民投票派を議会に当選させたことで議会構成が変わったが、住民投票条例に反対するある会派が50%の成立要件を出してきたので、苦渋の選択でその条件を飲んだ。しかし、最終的に50%の要件を満たすことができた」
●宮台氏「50%の成立要件は、むしろ積極的に捉えたい。アメリカでは大統領選と同時に多数の住民投票が行われており、住民投票が、国家に対する「自治」を貫徹する不可欠の要素となっている。それに対して日本では、住民投票は「異議申し立て」と捉えられており、それでは支持は頭打ちになる。「住民投票」というもののイメージを刷新する必要がある。住民投票とは、「参加と包摂」による共同体自治の回復への政治過程である。「参加」とは、元々抱いていたイデオロギーや価値観の解体であり、「包摂」とは、住民が分断を乗り越えること。分断は統治側の戦略なのだから」

●いとう氏「中沢、國分のお二人は、国交省に要望書を提出したが、どうだったのか」
http://www.huffingtonpost.jp/2013/06/13/story_n_3435733.html
●中沢氏「国交省は東京都の決定に口を出せないという。かつてあったような、自治体に対する「指導」の回路がない。国が地方自治にどうかかわるかがわからなくなっている。国と地方自治体とのあいだのコミュニケーション疎外状況があるのではないか」
●宮台氏「都内の市区町村に対しては、都がカネを握っている状況。政治的自治の達成と、自立的経済圏の形成とは不可分」
●國分氏「国交省の担当者も「地方分権」という言葉を何度も使ったが、それは中沢氏が的確に表現したように「DV」であり、地方自治体という「ドメスティック」な空間で起きていることを、国がスルーしているということ。それは地方分権ではなく首長分権であり、住民が入っていない。民主主義とセットにならなければ地方自治ではない。小平の場合、たとえば交通量調査を住民自身が算出するなど、住民が自分で考えることが必要」

●いとう氏「これからどうしていくか」
●中沢氏「二つある。一つは、開票されずに票が処分されることを食い止める。道路建設に賛成の人々が、投票率を下げるために「投票しない」という動きをしたという「噂」もある(噂にすぎないが)。開票することで、何があったかが見えてくる。もう一つは、この道路が本当に必要かどうかを考えるためのデータを、住民自身が作って、考えていくこと」
●宮台氏「開票結果は、建設推進に都合がいいように利用される可能性も十分にあるのであり、開票しないことにも意味がある。
 巻町の例を挙げると、賛成か反対かにかかわらず、まず住民同士が会って話して意思を表明することに意味があった。ただ、巻町の場合は前提として豊かな地域であり、賛成派も反対派も、“豊かであるのに”中央に依存する選択をするか否かという前提は共有していた。小平においては、そうした何かを共有する「われわれ」をいかに構築していくかという問題がある。
 また、「運動」の成功のためには、行政や議会の中の人と“こっそり呑める”関係が必要。行政や議会における“ゲームのルール”を理解したうえでこちらが行動していることを伝えると、反応はちがってくる」
●國分氏「吉野川河口堰の運動との大きな違いは、あちらではまず、住民へのヒアリングをものすごくやっている。それによって「みんながどう思っているか」ということについてのコンセンサスをつかんでおく必要がある」
●中沢氏「吉野川の方では、地域の人々が互いに顔見知りであり、ヒアリングが可能だった。都市化した小平において、どう呼びかけ、話し合いをしていくかが問題。ソーシャルメディアの力を過大評価はできない。都市部の人間関係は見えていない」
●宮台氏「自分は映画評論をやっているので、テレビ番組制作者とも付き合いが多く、彼らの番組の作り方によって、ソーシャルメディアの中心的ユーザーである若年層がどういう人間関係をもっているか、世代が分断されている状況はよく見えている」
●國分氏「一つには、ネットだけではだめ。ネットでもアピールするし、『週刊文春』にも書くことが必要。もう一つには、オフラインで政治の話をできるようになったのは財産。学童の先生や子どもの親同士でも話せるようになった」
●宮台氏「オフラインで政治の話ができるようにするのは絶対に必要。3.11以後、自分の子供の通う幼稚園で、東電に勤める親の家庭とそうでない家庭とのあいだの分断が生まれかかったが、それを食い止めた経験がある。小平のような運動は、運動が広がることで分断が広がる可能性もあるので、オフラインの力が試される」
●國分氏「吉野川との大きな違いがもう一つ。人口は徳島20万、小平14万だが、署名の受任者が、徳島9000人、小平350人だった。受任者だけで請求が成立するほど。署名も10万筆、つまり人口の半分集まった。これは、署名までに4年くらいの時間をかけて、宮台さん言うところの「完全情報化」(=住民が情報をきちんと知る状況)が進んでいた。小平でも、科学的に情報を提供したい」
●中沢氏「吉野川はカヌーの聖地。スポーツマンが結集したのも大きかった」

●中沢氏「ソーシャルメディアには可能性もある。今回起こった変化は、このまま終息してしまうことはないだろう」
●國分氏「動き始めたことが可能性をつくったと思う」
●宮台氏「熟議とはじっくり討論することではない。議論によって数合わせを争うのではなく、討議によって、予め存在するイデオロギーや価値観を超える何かを生み、認知枠組みを変化させること。土俵のずれていることを意識化すること(新しい土俵をつくること)。
 防災・減災の問題が大きなヒントとなった。行政がつくったものだけでは災害に対応できないことが明らかになった以上、共同体自治を作るしかない。
 共同体自治をつくるための手がかりは、子どもを通じた地域のつながりというリソースをもっと利用すること」
●國分氏「吉野川の村上さんは、運動は論理的でなければいけないと言った。これは「筋を通す」ということではなく、問題解決型であるべき、ということだと理解している」
●中沢氏「自分は“どんぐり”に固着している。人間だけではなく、自然を含む民主主義。それから、スポーツマンだけではなくラッパーが必要」

以下、フロアから紙で提出された質問に対して。

●國分氏「提案型でいくつもりでいるが、「50%」という成立要件を出されたことに対しては、さすがに反対の立場で行った。科学的データを出したい」
●中沢氏「あの雑木林のすばらしさを知る人を増やすことも大事」
●いとう氏「小平で、アコースティックでいいからフェスをやれば」
●國分氏「インターネットはなぜだめか。見る人が限られているから」
●宮台氏「質問は、熟議の公共空間をどう広げるかという問題に集約されると思う。ルカーチグラムシらは、革命の機運が熟しても革命が起こらないのは、革命がもたらす新しい世界が具体的に見えないと、「今」にしがみついてしまうからだと言った。また、トゥレーヌらは、当事者でない人が「楽しいから」参加することが運動を広げると指摘した。これらを踏まえるならば、小平においても、(この「住民参加」の動きが)道路の問題だけでなく、この町に何をもたらすのか、より大きなビジョン(新しい世界)を示すことが必要であり、またコミットすることの「楽しさ」を示すことに意味がある」
●中沢氏「(読み上げ)「吉野川がカヌーなら、小平はサッカーで」(笑)」
●國分氏「まさに未来“図”として、CGや模型で雑木林の未来像をつくってみたい。
 定住外国人が投票できることは本来必要。「市民」という有資格者的なものではなく、そこに住む人=「住民」が投票できるべき」
●宮台氏「定住外国人住民投票参加は、各地で論点になっている。住民投票は包摂、つまり「仲良くなるため」の投票であり、そう考えれば、国籍や世代がさまざまな人が参加して、地域にどんな人が住むかを互いに知る機会になるべき」

以下、私の感想。

  • 50%要件がついたことで「住民投票反対派」が投票自体をボイコットした可能性があるとしたとき、もしこれから開票されたとしたら、出てきた数字をどう読むべきなのか、もう少し見通しが知りたかった。端的にいえば、宮台氏の指摘(「開票しないことにも意味がある」)にどう答えるのか。
  • 「異議申し立てではない住民投票」とは何か。異議がないときに、わざわざ住民投票をしようとはしないような気がするので、やはり「異議」ありきのものではないのか。あるいは、出発点は直感的な「異議」(「この道路計画、何だかおかしくない?」)であっても、それと違う意見を排除せずに動いていく、ということなのか。
  • 吉野川を例に話された「まず住民が何を考えているのかヒアリングを徹底的にすること」に可能性を感じた。小金井市での佐藤前市長時代に、タウンミーティングにおいて、さまざまな考え方の市民がその場で発言することで、市民同士が互いに考えていることに関心をもつ、つまり横のつながりが生まれる萌芽を感じたから。
  • それも含めて、全体としては「参加と包摂」のための住民投票、という宮台氏の考え方に共感することが多かった。その考え方を前提にしたとき、「住民投票は手段であり目的ではない」という中沢氏の発言において、「目的」とされていることが――もし、人間以外の動植物も含めた民主主義、だとしたら――、実は宮台氏とずれていたのではないかという気がする。あるいは、國分氏の「雑木林を守るというところはぶれない」という発言も、「目的」は雑木林を守ること、を示していると思うが、宮台氏の考える「目的」は、住民投票(を含む一連のムーブメント)によって、民主主義が1ステージ進むことであり、結果として雑木林が守られるかどうかは、副次的なことではないのか。
  • いや、そうではなくて、つねに具体的な課題を前にして初めて「参加と包摂」のプロセスが起動するのであり、具体的な課題無くして「参加と包摂」のためのシステムだけが抽象的に存在するということはありえないのか。
  • 住民投票は、熟議を実現するためのプロセスと位置づけてこそ意味があると思う(そこが、単なる「異議申し立て」と一線を画す点ではないか)。そう考えたとき、今回行われた住民投票は、十分な熟議を経たものではなく、応急処置的な、「とりあえず、熟議のための時間をくれ」という住民投票だったと思う。その点で、「住民参加により(3・2・8 号線)計画案を見直す」べきか否か、という選択肢の設定は、工夫されていたと感じる。問題は、もし仮に住民投票が成立して、「見直す必要はない」という住民意思が示されたとしたら、そのとき、次にできるアクションは何かということだと思う。そのときに残されているのは、けっきょく「異議申し立て」の行動になるのではないだろうか。
  • あと、これはシンポジウムの話題から外れるが、たとえば道路が計画され、その計画が周知されて、住民の同意を得て、実際に建設が完了するには、いったいどのようなデータの提示とどのような手続きが必要で、どれだけの時間をかければ納得されるものなのか、目安がよくわからない。
  • もう一つ、これも外れるが、住民投票条例請求の要件を高めるべき(署名の必要数を増やす)という考え方も検討して欲しい。「議会という間接民主主義に任せておけない」とよほど多くの人が考えるときには、住民投票という直接民主主義を援用し、その結果を尊重する、というのがいいように思うのだけど。

とりあえず以上。

日立家庭用乾燥式生ごみ処理機「ECO-VS30」(その1 導入篇)

小金井市には「家庭用生ごみ減量化処理機器購入費補助制度」があって、申請すれば購入金額の80%が補助されることは、わりとよく知られている。
わが家でも、数年前にこの制度を利用して、家庭用バイオ式生ごみ処理機BGD-V18(日立)を購入したのだが、ある方から、このモデルが発煙・発火の危険があるので回収・交換の対象になっていることを教えていただいた。
交換される機種は、バイオ式ではなく乾燥式のため、どうしたものかと思っていたのだが(交渉次第では、交換ではなく返金に応じてもらった例もあるらしいが)、けっきょくこの乾燥式モデルECO-VS30に交換することにした。(なお、前回購入から5年以上経過していないので、今回は市の購入費補助は利用できなかった。)

これまで使っていたバイオ式と比較しながら、このモデルの特徴をメモしておきたい。今のところの評価としては、乾燥式の方が使いやすい印象である。なお、記述が長くなるので「バイオ式」と「乾燥式」と略記したが、それぞれ上記の特定のモデルのことを指しており、バイオ式一般とか乾燥式一般のことではないのでご注意いただきたい。

「バイオ式」と「乾燥式」、仕組みの違い

旧モデルは電動のバイオ式。機械のなかに「バイオ菌」を混ぜた「バイオ剤」(おがくずのような形状のもの)が入っていて、そこに生ごみを投入し、熱を加えながら撹拌すると、一定時間の後にバイオ菌によって生ごみが分解されるという仕組みである(骨や梅干しの種などを除き、元の生ごみの形は失われる)。稼働中は、臭いと熱が発生する。また、分解されるといっても消滅するわけではないので、だんだんバイオ剤の量は増えていく。したがって、増えすぎたらバイオ剤を取り出し口から取り出して、一定量まで減らさなければならない。
一方、新しいモデルは同じく電動だが乾燥式で、生ごみに熱風を当てながら撹拌し、乾燥させて量を減らす方式である。稼働中には、やはり臭いと熱が発生する。バイオ剤などは使わず、ひたすら乾かすだけなので、分解はされず、処理後には、焦げたような枯れたような状態になったものが残る。これも、処理を重ねるとだんだん溜まってくるので、溜まりすぎたら取り出して捨てることになる。

稼働時間と消費電力

わが家は三人家族(大人二人、幼児一人)で、生ごみの発生量はさほど多くない。毎晩、一日分の生ごみを投入するが、ちょうど生ごみ入れ一杯くらいの量である(生ごみ入れについては下記「番外篇」参照)。
バイオ式の場合、それを分解するのに6〜7時間の稼働(定格消費電力490W)、乾燥式では1.5時間くらい(同850W)である。稼働時間がこれだけ短ければ、乾燥式の方が省電力ではないかと思われる。

臭いと熱

バイオ式でも乾燥式でも稼働中には臭いと熱が排出される。
臭いの好き嫌いには個人差があるので何とも言えないが、わたしにとっては、バイオ式の独特の臭いに比べると、乾燥式の臭いの方がなじみやすい。また、バイオ式の方が稼働時間が長いので、そのぶん臭いが気になると思われる。
発生する熱は比較しにくいが、稼働時間中についていえば乾燥式の方が高熱を発しているようだ。設置場所は一坪程度の洗面所だが、その室温が5度くらい上昇する(バイオ式でも室温上昇はあったのだが、何度くらい上昇したかは記憶していないので、数字で比較はできない)。但し、これも稼働時間の問題で、たとえば深夜12時に稼働開始したとして、バイオ式ならば朝起きたときに洗面所に熱と臭いがこもっている感じがあるが、乾燥式では、発生した熱や臭いはすでに消えている。
臭いに関しては、排気の臭いの他に、機械のフタを開けたとき(生ごみを投入するとき)の臭いがあるが、これもバイオ式の方がくさいと思う。乾燥式の方は、まだ魚介類の生ごみを入れていないのでそれによって変わるかもしれないが、野菜類の生ごみについては「野菜炒め」のような臭いである。よく言えば「香ばしい」というか。

処理容器が取り出せるかどうか

大きな違いの一つは、処理容器(実際に生ごみを投入する、機械の内部のうつわの部分)が、取り出せるかどうかである。バイオ式は一体構造なので取り出せないが、乾燥式の処理容器は、炊飯器の内釜を深くしたような形状のもので、バケツのような持ち手がついているので簡単に取り出せる。
取り出した処理容器(左)と本体
これのメリットは二つあり、一つは処理容器をキッチンまで持ってきて、その場で生ごみを処理容器に投入できることである。わが家はキッチンから設置場所(洗面所)まで少し離れているため、生ごみを運ぶ途中で「汁」が垂れそうになるのが気になっていたが、処理容器自体を持ち運べばその問題は解決される。これは、キッチンから離れたベランダなど室外に設置する場合にもかなりメリットだと思う。
もう一つのメリットは、おそらくメンテナンスがしやすいだろうということだが、まだメンテナンスをしていないので、他日を期したい。

堆肥化

どちらの方式でも、堆肥化するには一手間が必要(袋詰めして1〜2か月日陰に置くなど)。自分では堆肥化をしていないので何とも言えないが、堆肥化する手間を惜しまない人にとっては、説明書を読む限りどちらの方式でも大きな違いはないと思われる。

屋外・屋内どちらにも設置可能

どちらの方式も屋内外兼用タイプなので、防雨型コンセントさえあれば屋外に設置が可能(雨ざらしにならない、直射日光を浴びないなど条件はある)。但し、上で書いたような理由で、屋外であれば屋内であれ、キッチンから離れた場所に設置するなら乾燥式の方が便利である。

番外篇:生ごみ入れのこと

わが家で使っている生ごみ入れは、写真のようなもの。

  • 底面がシンクに接しない。
  • 網目ではないので、ヌルつきが少ない。
  • フタができるので、臭いが拡散にしにくい。
  • 持ち手があるので、運びやすい。

といった理由で重宝している。現在はこれの改良型?で、ろうと型(円錐型)のものが売られているようだ。

エポダストホルダー 三角コーナー ステンレス 蓋付き

エポダストホルダー 三角コーナー ステンレス 蓋付き

ちょっと高い気もするが、買って良かったという点では家人と意見が一致している。
但し、直径12センチくらいで、それほど多くは入らないので、生ごみが大量に発生する家庭では注意が必要(こまめに処理機に移せば問題ないと思うが)。

(「その2 メンテナンス篇」につづく、かも)

2012年02月15日のツイート

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